赤い月が夜空を染める。
青い炎が翻り、ユーリの体を狂気に焦がしていく。 静かに目を閉じた。 「審判の時は…訪れた」 冷たい夜風が、仮面越しにユーリの頬を撫でた。 その日の司法局は、前日に現れたルナティックへの対応に追われていた。 警察と司法局が密かに追っていた犯人を、あろうことか先に抹殺されてしまったのだ。 それが指名手配中の連続婦女暴行・殺害犯という、最も世間から忌み嫌われる犯人だったことで、インターネット上では再びヒーロー不要論が過熱をはじめたのだという。 会議でのそんな報告を、ユーリは冷ややかに聞いていた。 そんな話を聞いても、少しも気持ちが踊らない。 以前、同じような内容で会議が開かれた時は、口ではルナティックの存在を否定しながら、内心でほくそ笑んだものだ。 彼らが謳う脆弱な正義など、やはりその程度なのだと嗤った。 それなのに、今は会議自体が退屈でならなかった。 結局、結論など出ないままに閉会となる。 以前のようなキャンペーンをまたやろうかと、閉会後の会議室で世間話のように話し合う上司たちの横を、ユーリは無言で通り過ぎた。 昨夜の出来事をゆっくりと反芻する。 達成感はあった。 己の正義に従って、それを全うしたのだ。 それでいい。 これからも、そうして一人で、己の信ずる道を歩んでいく…ただそれだけのことで、今までもずっとそうしてきたのだ。 (…寒い) 季節に合わせた空調は、常に快適な温度を保ってくれているはずなのに、ユーリは身震いをした。 (寒い…) なぜだろう、ここはとても寒い。 体は酷く冷えていて、凍えてしまいそうだった。 キースはあれから、ユーリに接触してくるようなことはなかった。 お互いのプライベートな連絡先は知らないのだから、当然といえば当然かもしれない。 だが以前のようにビルの外で待ち伏せをするような事もない。 キースが帰宅する前に、何も言わずに帰ってしまったからだろうか。 それとも、彼の飼い犬が上手くユーリの言葉を伝えてくれたのだろうか。 自分の考えに思わず笑ってしまうが、それならそれでいいと思った。 キースと一緒にいたら、きっと自分は狂気でいられなくなる。 彼の光にほだされて、与えられる温もりに酔ってしまって、身も心も融かされてしまう。 そうでなければ、自分の持つ暗く深い闇に、彼を引きずり込んでしまうだろう。 彼は彼のまま、あの眩い空の中で自由に舞っていて欲しい。 所詮、住む世界が違うのだと、まだ捨てきれないキースへの思慕を、いつものように必死で覆い隠した。 そうやって、必死になっているのに、どうしてまた彼は、以前と同じように屈託のない笑顔でいるのだろう。 「やあ、ユーリ」 驚くほど当たり前のように、キースはジャスティスタワーの入り口で、ユーリを待っていた。 なぜ今更、と不思議に思う。 だがもう一度顔を見て、彼に触れられたら二度と戻れないだろうと顔を背けた。 キースを見ても無言で立ち去ろうとするユーリを、キースは当然のように追いかけてきた。 速度を速めて歩いているのに、キースは余裕の足取りでユーリの横をついてくる。 いつまで経っても縮まらない距離に、ユーリの方が疲れて立ち止りそうになった。 諦めていつもの歩調に戻すが、それではキースの思うつぼだ。 案の定、モノレールに乗るところまでついてくる。 キースは何も言わない。 ただユーリの横を、黙ってついてくるだけだ。 自宅近くの駅で降りたところで、ユーリはいい加減に焦れて声を荒げた。 「何のつもりですか、貴方…ストーキング行為で訴えますよ」 ユーリとしては睨み付けたつもりなのだが、キースは嬉しそうに言った。 「よかった、怒っているわけではなさそうだね」 的外れな言葉に、ユーリは呆れて溜め息をついた。 「私の言葉、聞いていましたか?」 「うん、聞いていたよ。でも、君は全然嫌がっていないし、怒ってもいないだろう?声を聴いて、顔を見ればわかるよ」 キースは平然と言った。 「よかった、実によかった。きっと君は、お気に入りのリボンを駄目にされて、怒っているのだろうと」 「…は?」 あまりにも突飛なキースの考えに、ついていくこともできなかった。 「リボンが…なんですって?」 「君のリボンを、ジョンが駄目にしてしまっただろう?すまない、本当にすまなかった」 お詫びに、と差し出されたのは、丁寧にラッピングされた箱だった。 「私はこういったものを何処で買えばいいのか、わからなくて。迷っているうちに遅くなってしまった…結局、ファイヤーくん達に協力して貰ったのだ。気に入るといいのだけど…」 キースは勝手にユーリの手を取り、その上に箱を乗せた。 鮮やかなブルーの包装紙に、銀のリボンが飾りつけられている。 包装紙に入ったロゴには見覚えがある。 わざわざ、それなりの場所で買ってくれたようだ。 だがユーリはまだ、それに思考が追い付いていなかった。 つまり、あれから何日も音沙汰がなかったのは、ジョンが駄目にしてしまったリボンの代わりを探していたからなのだと。 ユーリが黙って帰ってしまったのは、それに怒ってのことだと、勘違いをしているのか、彼は。 ゆっくりと順を追ってキースの言葉を飲み込んでいき、ようやく理解した瞬間にユーリは思わず噴き出していた。 「貴方、そんなことを…本当に、天然というか、なんというか…」 あまりにも可笑しくて、声に出して笑った。 そんなふうに笑ったのは久しぶりのことだ。 そのせいか、体の中が暖かくなって、頬まで赤く染まっていく。 「驚いた…君も、そんな顔をするんだね」 キースにそう言われて、我に返る。 自分でも驚いていた。 こんな風に笑う感情が、まだ自分の中に残っていたのか。 「やはり、私は君をまだまだよく知らない。だから、これからもっと君の事を知りたい」 キースの澄んだ瞳が真っ直ぐにユーリを捕らえた。 「知りたいんだ、ユーリ。だから君の、傍にいてもいいかい?」 傍にいて、一緒に食事をして一緒に眠って、一緒に休日を過ごして。 そんなありきたりな、 「私は君の恋人になりたい…ユーリ」 夜はとうに更けていて、僅かな数の街灯だけが辺りを照らしている。 最終のモノレールが過ぎてしまったあとの駅前は、人通りが絶えて、しんと静まり返っていた。 夜の空気は冷たくて、防寒具を何も持っていないユーリにとっては寒くて堪らないはずなのに、体中が暖かかった。 まるで、キースに抱き締められているかのように。 「な、にを、言っているのですか…貴方は」 ユーリはやっとのことで呟いた。 頭の中で誰かが警告する。 もうきっと、戻る事はできない、と。 それでも構わない、とそれに答える。 押し隠そうとした想いが堰を切って溢れてくるのを感じた。 「自分の言っていることの、意味。理解、できていますか?」 「もちろん。私は本気だよ」 「私の事なんてまだ、何も…知らないのに?」 「だからこれから、知っていけばいい。君の事も、私の事も…それに」 キースは静かに目を閉じた。 再び見開いたスカイブルーの瞳は、彼の決意を宿していた。 「言っただろう、私は君を…たとえ君が、どんな罪を背負っていようと、愛していると」 それは意識が夢の中へ落ちていく間際、耳元で囁かれた言葉だ。 鼓膜に蘇るあの時の告白が、胸を締め付けた。 (本当に…) たとえ、両の手が罪に穢れていても、背負う闇が底なしに深くても、彼は自分を愛してくれるというのだろうか。 罪なき市民を守る為の手を、ユーリにも向けてくれるというのか。 ユーリを見つめる瞳は偽りなく真っ直ぐだ。 「ユーリ、君は?」 それは最初から答えがわかっているかのような問いだった。 差し出された手は大きくて、優しさに溢れていた。 恐る恐るその上に手を乗せると、キースは力強くユーリを抱き寄せた。 ユーリよりも一回りは大きなキースの体が、ユーリを包み込む。 「私、は…」 伝わってくる鼓動は暖かくて力強い。 心地良いキースの温もりが、頑なに閉ざされた心を、ゆっくりと融かしていく。 「私は――――」 震える唇がようやく言葉を紡ぐ。 それは、はじめてユーリが口にする、ユーリの心からの声だった。 吹きすさぶ夜風に掻き消されてしまいそうなその声は、キースには十分に届けられた。 弾けるようなキースの笑顔に、つられて唇が緩む。 笑みを浮かべた唇に、キースのそれが重なった。 空に白銀の月が揺蕩う。 淡く地上を包む月明かりが、重なって融けあう二つの影を優しく照らしていた。 空月続き物、これで最終話となります ここまでお付き合いくださった皆様、 拍手やコメントをくださった方、 本当に有難うございました 俺たちの戦いはこれからだ的な終わり方で まだまだ二人には問題が山積していると思いますが きっと乗り越えて行ってくれるでしょう 最後に… 公道でちゅっちゅすんな! では、お粗末様でございました |