朝の気配を感じて瞼を開く。
 ブラインドの隙間から洩れてくる朝日の眩しさに、ユーリは再び目を閉じた。
 陽の香りがするブランケットに包まって、心地良い暖かさに身を任せた。

 職場でも自分の部屋でもない、こんな明るい場所で目が覚めるなんて、久しぶりのことだった。
 朝とはこんなにも暖かくて、気持ちの良いものだったのだろうか。
 微睡みの心地よさも、爽やかな陽の光も、優しくユーリを包み込んでくれた。



 体の中にはまだ、昨夜の熱が残っていた。
 たどたどしい彼の愛撫は、お世辞にも上手いとはいえなかった。
 けれど、彼の体温が体内に染みこんで離れない。
 優しく傷跡に触れた彼の唇。
 溶けて混ざり合ってしまいそうなほどの熱と、惜しみなく注がれた愛情と。
 それはとても心地が良くて、全てを委ねてしまいそうになる。

(もう、駄目かもしれないな…私は)

 必死で作り上げてきた仮面が、脆くも剥がれていくのを感じた。
 今まで築いてきた壁など、彼は悠々と乗り越えてきてしまった。
 それが怖くて、本当の自分を知られてしまうことが恐ろしくて、拒絶したというのに。
 誰にも見せなかった顔も、誰にも気付かれなかった傷も、全て彼の前に曝け出されてしまった。
 夢中になって彼に縋り、抱きしめて、自ら求めて…彼の、全てを欲しがった。
 あんな姿は一生、誰にも見せることなどないと思っていた。
 もう二度と、誰にも愛されることなく、憎しみと罪とを背負って生きていくのだと、覚悟していた。
 だけど彼はそんなくだらない覚悟など、無遠慮にも壊してしまった。
 不思議と、憤りはなかった。

(どうやら彼に…毒されてしまったようだ)

 唇を歪めて自嘲する。
 その顔は嬉しそうに頬を染めて笑っているようにしか見えなかったが、ユーリは少しも気付かなかった。



「キース…?」

 ふと、隣で眠っているはずの相手がいないことに気が付いた。
 ゆっくりと体を起こすが、寝室のどこにもキースの姿はない。
 時計を見ると、朝どころか、もう少しで正午になろうかという時間だった。
 一瞬慌てるが、今日は休日であったことに気が付いてほっと胸を撫で下ろす。
 昼食の仕度でもしているのだろうかと、ベッドから起き上がった。
 随分と汚してしまったような気がしていたが、ユーリの体は綺麗に清められていた。
 ユーリのシャツの代わりに、体より幾分か大きいTシャツとギリギリ腰の辺りに引っ掛かるボクサーパンツを着せられていた。
 見回しても自分の着ていたスーツが見当たらないため、仕方なくそのまま寝室を出る。
 寝室の隣は広いダイニングキッチンになっていて、真ん中に置かれたテーブルには一人分の食事が用意されていた。

「キース?」

 だが、肝心のキースがいない。
 代わりに、飼い犬のジョンがユーリを見て嬉しそうに擦り寄ってきた。
 飼い主に似て人懐こい。

「君のご主人は、どこへ行ったのですか?」

 答えなど期待せずに尋ねてみたが、ジョンはテーブルの方に向かって鳴いた。
 よく見ると、食事の横には一枚のメッセージがあった。
 椅子には綺麗に畳まれたユーリのスーツが置かれていた。

『おはよう、よく眠れたかい?すまないが、出動要請がきてしまった。食事を用意しておくから食べてくれ』

 よほど急いでいたのだろう、メモ帳に走る文字は解読が必要なくらいに傾いていた。
 ユーリはおもむろに、テレビのスイッチを入れた。
 中型の液晶画面は、丁度ヒーローTVのチャンネルになっていた。

『おっと!ここで来たのはスカイハイ!ここしばらく不振が続いていますが、今日は活躍できるのでしょうか!?』

 いささか失礼な実況にユーリは顔を顰めた。
 大空を華麗に舞うスカイハイの白のスーツが、空の青に溶け込んでいる。
 騎士の甲冑のような銀の仮面が、光を受けて輝いていた。
 眩しいくらいの、堂々たるヒーローの姿だ。
 ユーリは思わず目を細めた。
 タクシーをジャックして逃走する犯人が、封鎖された道路を我が物顔で疾走していた。
 だが最高速度で走る車は、カーブを曲がりきれずにそのままガードレールにぶつかりそうになる。
 思わず実況も息を呑んだその刹那、車を守ったのは一陣の風だった。
 車体はふわりと浮きあがり、タイヤが物凄いスピードで回転している。
 更に突風が吹き荒れると、車のタイヤを全て切り裂き、ゆっくりと道路へ降ろした。

『素晴らしい!スカイハイ、見事な風捌きです!犯人も人質も、両方の命を救いました!』

 犯人を拘束し、人質には優しく力強い手を差し伸べる。

『今日は久しぶりに活躍したスカイハイ!今後は以前のような、活躍を見せてくれるのでしょうか?』

 カメラがスカイハイに向けられる。
 それに気付いた彼は、応えるように片手をあげた。
 その姿はすでに、トップであった頃の、自信に満ちたものに戻っていた。
 キングとしてではなく、市民を守るヒーローとしての矜持。
 彼はきっと、それを取り戻すことができたのだろう。
 彼の輝くヒーロースーツが眩しい。
 眩しい、と思って細めた目から、涙が零れ落ちた。
 太陽を一身に受けて天高く舞い上がる彼の姿は光そのもので、ユーリにとっては眩しすぎた。

「ああ…」

 ユーリは思わず溜め息をついた。
 キースの光は、ユーリにとっては眩しい。
 眩しすぎるのだ。
 それに包まれるのは心地よいけれど、キースはまだ、ユーリの本当の闇を知らない。
 罪に塗れた自分と、一点の曇りもなく輝かしい彼とは、まるで住む世界が違う。
 キースにそれを受け止めて欲しいと望むことも、受け止めてくれるだろうと期待することも、酷く身勝手でおこがましい。
 胸が締め付けられるように苦しい。
 胸の辺りを手で押さえて、もう一度息を吐き出した。
 帰ろう、と思った。
 きっとそれが、一番いい。
 足元で行儀よく座るジョンの頭を撫でた。
 ふわふわとしていて触り心地が良い。
 屈んだユーリが油断した隙に、ジョンはユーリの髪からリボンを奪った。

「あっ…」

 簡単に結んだだけのそれはすぐに解けてしまい、ジョンの牙の餌食になってしまった。

「悪戯っ子ですね、君は」

 だが少しも憤る気持ちはなく、仕方なさそうに微笑んだ。

「気に入ったのなら、あげますよ。その代わり…」

 抱き締めたジョンからは、体を洗ってもらったばかりなのだろう、清潔な良い香りがした。

「その代わり、貴方のご主人に伝えてください」

 くぅん、と寂しそうに鳴いたジョンは、言葉の意味もユーリの気持ちも理解しているのかもしれない。

「ありがとう、と。そして…さよなら、と」



 そしてもう一つ…私も貴方を愛していた、と。









次回でこの続き物は終わります

ラストを決めずに続きものにしていて、
本編次第で変えよう、と思っていました

が、本編がまあ、あんな感じだったので…(笑)

この話は、ぼっち歴半端ないユーリさんが
ビッチだけど恋愛を知らないユーリさんが
キースちゃんという天使に出会って
恋に堕ちるまでのお話となりました

大変無計画始めた割に、当初の予定よりも長いお話になってしまいました
お付き合いくださっている方がいらっしゃるようで、
とても嬉しいです、嬉しいです、とても

せっかく思いが通じ合ったのに、ユーリさんはもう一回逃げます
ぼっち歴長いと大変です

ラスト一話、お付き合いくださると嬉しいです