彼にはもう、あまり関わらない方がいい。

 狂気の仮面をかぶっているはずなのに、彼の純粋な瞳はそれを射抜いてユーリを見つめていた。
 確かに、目があったように思った。

「お久しぶりです、ユーリさん!」

 キースは何事もなかったかのようにユーリに話しかけてきた。
 実際、キースにとっては特別なことではない。
 いつものように犯人を追いかけていたら邪魔が入り、それと対峙しただけのこと。
 周囲からは、あと少しでルナティックを捕らえられたのに、と残念がる声も聞こえてきたが、それでもいつもと変わらない夜だっただろう。
 それ故に、あまりに邪気のない笑顔を直視することができない。
 全てを見透かされてしまいそうだ。

 キースは一度食事に行ってからというもの、幾度となくユーリを外へ連れ出そうとしていた。
 行きつけの店に連れていきたいから、と彼は言うが、映画に行こうとか何のチケットが手に入ったからだとか、何かにつけてキースはユーリを誘いにきた。
 けれどその誘いに乗ったことは、一度もない。
 本当に仕事や先約があることもあったが、大抵は適当な理由を見繕って断っていた。
 何が楽しくて、嫌いな男と一緒に、休日を過ごさなければならないのだろうか。
 キースは人の話を聞かないとか、鈍感だとか天然だとか、その人柄が好かれている割にはひどい言われようをしていた。
 それをようやく、身を持って知らされた。
 こんなに何度も断っていれば、いい加減諦めてもいいものを。

「…随分と、諦めの悪い人ですね」

 深々と溜め息をついた。
 今日も容赦なく断って、その場を去ろうとした。

「待ってください」

 ぐい、と腕を掴まれる。

 掴まれた腕を、無慈悲に振り払ってしまえばいい。
 けれど気を抜けばその温もりを受け入れてしまいそうになる。
 それほど、彼の暖かくて大きな手は心地よい。

  「っ…!」

 ユーリは慌ててキースを振り払った。
 昨夜と同じ場所に、彼の掌の感触が残る。

「すみません、失礼を」

 キースは不思議そうな顔をしたが、他意なく謝罪を口にした。
 急いでいるから、と足早にその場を去る。

 やはり、彼は駄目だ。
 これ以上彼に関わったら、気付かれてしまう。
 ユーリの正体も、誰も知らない心の奥底の深い闇も。
 次に彼と会った時に、はっきりと迷惑だと断ろうと思った。
 もう二度と、仕事以外の場で話しかけないようにと…いざとなったら法に訴える、とまで言ってしまえばいい。
 本心を隠すことには慣れている。
 もともと迷惑だと思っていたのだから、ちょうど良い。
 いつもどうやって断ろうかと、偽りの理由を考える必要もなくなる。
 断ってばかりでなく、たまには誘いにのろうかなどと…彼に惑わされることもなくなるのだから。

 けれど、それをキースに伝える事はなかった。

「ペトロフ管理官!」

 数日後、執務室で対応に追われていると、随分と急いた様子で部下が飛び込んできた。

「どうした?」
「急いで会議室にお越しください!緊急会議だそうです」

 緊急会議自体はたいして珍しい事ではない。
 だが部下の慌てようから、何かとても大変な事が起こったらしい。
 ユーリは溜め息をついた。
 やはり、ヒーロー達だけでテロリストを抑えるなど、無茶が過ぎたのだ。
 あちこちに働きかけて実現はしたが、これで万が一の事があったらどう責任を取るのだろう。
 視聴率よりもなによりも、大切なものがあるだろうに。
 だから嫌なのだ。
 ヒーローもテレビスタッフも…その裏で糸を引くあの男も。
 会議室に着くと、すでに他の面々は揃っていた。
 全員が、食い入るように画面に見入っている。
 遅れてすみません、と言ったユーリの事など、誰も気が付かない。
 不思議に思って画面を見上げた。

「なんだ、これは…」

 思わずそう呟いていた。

 くすんだ空から、血のように深い赤のカードが雨のように降り注いでいた。