重苦しい暗黒が立ち込めた空に、白のスーツがはためく。
その無残な姿は、敵側のカメラによってシュテルンビルト全土に放映された。 キング・オブ・ヒーロー、スカイハイの敗北に、街中が絶望に包まれた。 けれど、事件は無事解決された。 復讐に燃えるバーナビーの手によって。 あれほどの強大な悪が滅びることは、ユーリの望むところだ。 ユーリの敵は決してヒーローではない。 そのはずなのに、ユーリはいまだにあの曇天のような、重い気持ちを抱えていた。 事件が終わってからも、その爪痕はあちこちに残っていた。 破壊された交通網の修復は急ピッチで行われ、現在ではほぼ回復している。 ヒーローTVは、ヒーローの半数ほどが入院する事態となり、それでも続けられた放送は随分と画面の寂しいものだった。 司法局も膨大な事後処理に忙殺される日々を送っていた。 帰宅する暇もなく、司法局に泊まり込む職員も多くいた。 ユーリも郊外にある実家に帰る余裕はなく、一カ月ほどは職場とその近くに借りている部屋とを行き来していた。 事件のあと、負けたヒーロー達に対しての世間の目は、思っていたよりも暖かなものだった。 スポンサーや病院、司法局にまで、彼らへの見舞いの品が後を絶たなかった。 けれど、少なからず中傷的な意見もあった。 特に、キース…スカイハイへのバッシングが、匿名性の高いインターネット上では一部で盛り上がりを見せていた。 なんて身勝手な言い分だろうと、ユーリは苛立ちを隠せなかった。 あれほどキングだなんだと祀り上げておいて、たった一度の敗北でよくそんな口を利けるものだと思う。 キースがそれを知っているかどうかはわからない。 彼はそういった情報には疎いように思うし、スポンサーは知っていてもわざわざそれを伝えることもないだろう。 だがヒーローTVに復帰した彼が、以前ほどの活躍を見せることはなかった。 彼が持っていた威厳とも覇気ともいえるものが、明らかに失われていた。 地道にポイントは稼いでいたが、明らかに以前のキング・スカイハイではない。 そしてついに先日、バーナビーにランキングトップの座を奪われてしまった。 「負傷した…スカイハイが?」 司法局にそんな一報が舞い込んできた。 ユーリは耳を疑った。 「しかし、今日の放送でそんな場面は…」 「流せるわけがないだろう。ずっとトップに君臨してきた男のそんな姿なんて」 そこまで言われるとは、余程酷い状況だったのだろう。 「さっき、医務局に運ばれてきたらしい。しばらく入院するそうだよ」 「それにしても…スカイハイが怪我で入院とはね。彼はもうダメかな」 同僚たちの無神経な言葉に、思わず顔を顰める。 入院したといっても、そこまで言う程の事態ではないはずだ。 だが、トップの座を奪われた事、ジェイク事件を解決できなかった事…スカイハイへの失望が確実に広がっている。 ある意味、それは仕方のないことと言えた。 どんなヒーローでもいつかは人気が衰え、ランキングも下がって引退を余儀なくされる時がくる。 人気絶頂の中、惜しまれながら引退した者もいるが、そんなヒーローも新しく誕生していくヒーロー達の影に霞んでいつしか忘れられていく。 スカイハイも、そうして他のヒーローからトップを奪ってキングの座に就いたのだ。 彼のように老若男女から支持を得るようなヒーローは珍しいが、そんな彼でもいずれは他の歴代のヒーロー達と同じ道を辿る事になる。 その時期が少し早まった…ただそれだけの事だ。 だから、そんなことで心配することも… そこまで考えて、おかしい、と思った。 自分は彼の心配を、しているのだろうか。 あれほど毛嫌いしていた男のはずなのに。 けれど、公私ともにヒーロー然とした彼も、所詮は人気やポイントに左右される見世物のヒーローなのだと、嗤ってやる気持ちにはどうしてもなれなかった。 久しぶりの休日に、ユーリはキースの病室を訪れた。 彼とはもう関わらないと、そう決めていたはずなのに。 それよりも母の元へ一度顔を見せに行きたい。 仕事が忙しく、母の事は訪問介護サービスに任せきりになっていた。 けれどその前に少しだけ…ほんの少しだけと自分に言い聞かせて足を向けた。 病室のドアを遠慮がちに開けると、強い風がユーリの頬を撫でた。 思わず目を閉じる。 窓を開け放ち、キースはぼんやりと外を眺めていた。 「キー…」 呼びかけようとして言葉を飲み込んだ。 見たことのない、顔をした彼がいる。 「…ユーリ、さん?」 ユーリに気付いたキースが振り返る。 その顔は、もういつものキースに戻っていた。 嫌な予感に、ユーリの胸がざわついた。 「驚かせてすみませんでした!まさか、貴方が来てくれるなんて!」 キースは心底嬉しそうに笑った。 外の空気が吸いたくて、窓を開けていたのだという。 高い階にあるこの場所は、強い風が吹いている為あまり開けていると怒られるのだと、キースは苦笑した。 「怪我は大丈夫ですか」 「ええ!たいした怪我ではないのです。すぐに退院できますよ」 キースの笑顔は以前と変わらない。 先ほどのあの顔は見間違いだろうか。 「お変わりないようで、安心しました…てっきり、もっと落ち込んでいるものかと」 柔らかい態度を忘れた口が、余計な事を滑らせる。 けれどキースがあまりにも普段通りに笑うものだから、それくらい笑って返してくれるものだと、勝手に思っていた。 その予想に反して、キースの顔はみるみるうちに悲しそうに歪んだ。 「…キースさん」 「…ああ、すみません」 キースは無理やりに笑ってみせた。 「あの事件…ジェイク・マルチネスの事件の事をずっと考えていて…私は、きっと随分とみんなを失望させてしまったのだろうな、と」 心臓が不快な音を立てた。 先程感じた、得体の知れない嫌な予感が、はっきりと輪郭を現す。 「悪人が倒されたことは、素直に嬉しい。彼…バーナビー君は、本当によくやったと思います。素直に、本当にそう思う。けれど…」 キースの顔が見たこともないほど暗く沈む。 「市民はきっと、その役目を一番、私に望んでいたことでしょう。喜ばしいことに、私はキング・オブ・ヒーローと呼ばれていました。嬉しい…それは、とても嬉しい。そしてその名に恥じないように努力してきた…その、つもりでした」 何処かで聞いたことのある言葉がキースの口から紡がれる。 何処で…遠い昔、まだ子供だった頃に。 「けれど私は、負けました。手も足も出ず、完全に負けて…無残な姿を晒してしまった。みんなに希望を与え続けるはずの私が、みんなを失望させてしまったのです」 「それにくわえて、今度はトップの座も明け渡してしまった…いや、いずれその時というものはやってきます。私はもしその時がきたら、相手が誰であろうと喜んで明け渡そうと思っていました。それなのに…」 キースはやっとの事で息をついた。 額に手を当てて、苦しそうな表情を隠すように俯く。 「なぜだろう…とても、とても苦しいのです」 つん、とユーリの鼻を消毒液の匂いが刺激した。 キースから、と思ったが、そうではない。 いや、これは消毒液の匂いではない。 良く似た何か… 「私には、みんなの期待がかかっていたのに。それに応えることができなかったのが…」 ああ、アルコールの臭いだ。 目の前が一瞬、真っ暗になって、ユーリをいつも悩ませる幻影が薄笑いを浮かべた。 父の姿をしたそれは、瞬時に青い炎に包まれる。 罵声、哀願の声、拳を振るう音。 全ては幻だとわかっているのに、五感が飲み込まれていく。 気が付くと、息をするのもままならなくなっていた。 「ユーリさん?」 キースに呼ばれて意識が戻ってきたときには、すでに手遅れだった。 冷えた汗が頬を伝っていくのがわかる。 苦しい、と思うのも当たり前で、上手く呼吸ができていない。 おかしな音の呼吸音が、繰り返し自分の喉から発せられている。 「ユーリさん!」 キースに体を揺さぶられた。 それが返って苦しさに拍車をかけた。 「落ち着いてくださいっ…今誰か…!」 ナースコールに手を伸ばすキースを、ユーリは必死で止めた。 「だいじょ、ぶ…少…したら…」 「大丈夫には見えません!早く…っ」 こんな惨めな姿を、これ以上誰かの目に晒したくはない。 朦朧とした意識の中で、そんな小さなプライドだけでユーリは理性を保っていた。 「やめろっ…!」 震える手で、懸命にキースを抑え込む。 バランスを崩してキースの体の上に倒れこんだ。 衝撃が傷に響いたようで、キースは低く呻いた。 病衣の合間から覗く、痛々しい包帯が目に留まった。 包帯越しに、キースの暖かい体温が頬に触れる。 「ぁっ…は…」 激しく上下する肩に、キースの大きな手の平が優しく触れる。 子どもをあやす時のように背中を撫でられる。 目に涙が滲むのは、苦しさからか、それともこの男にこんな情けない姿を見られているからだろうか。 荒い息遣いが嗚咽に変わる。 キースの手が涙を覆うようにユーリの頬を包んだ。 ふっ、と柔らかく暖かいものがユーリの唇に触れた。 一度離れて、また同じように触れてくる。 温もりを吹き込むように、何度も優しく、離れてはまた重なる。 それから逃れようともがいてみたが、その暖かさがあまりにも心地が良くて、いつのまにかその温度に身を委ねていた。 冷えた体が熱に冒されて徐々に溶けていく。 ようやく落ち着いたユーリを、まだキースは優しく抱きしめていた。 徐々に冷静になっていく頭が、居心地の悪さを訴えはじめた。 「あの、キース、さん」 よりによって、キースの前で失態を演じてしまった。 けれど、彼が与えてくれた温もりに安堵したのも確かで、ユーリは酷く困惑していた。 キースの顔をまともに見ることができない。 やっとの事で顔をあげると、キースは屈託のない笑顔で、 「よかった…ああいう場合は、人工呼吸で正解だったようですね!」 一瞬、何を言われたのかよくわからなかった。 無邪気に笑うキースを見て、ユーリもつられて笑った。 「ははっ…貴方という人は…」 可笑しくて、たまらなく可笑しくて笑い声が止まらなくなった。 「ははっ…あはははっ!」 「あ…ユーリさん?」 キースはおそらく、何か間違えてしまったのだろうかと困っているに違いない。 キースの取った行動は、彼の意図したところとは確かに違っていた。 けれど、ユーリが可笑しいのはそこではない。 キースはまだ、気がついてもいないだろう。 「本当に、貴方という人は…」 今度は笑いすぎて息が苦しくなってきた。 「純粋で、真っ直ぐで」 靴を脱いで、ベッドの上に上がる。 横たわるキースの上に、跨る格好で彼を見下ろした。 「ユーリ…」 「子供のように無邪気で、眩しいくらいに真っ新で」 ベッドが二人分の重みで嫌な音を立てて軋む。 ユーリが覗き込むと、綺麗な空色の瞳が驚きに見開かれた。 怯えているようなその瞳に、ユーリは嫣然と微笑んだ。 キースの唇に己のそれを重ねる。 先ほどまでユーリに心地よい温もりを与えてくれた唇は、同じように柔らかくて暖かかった。 だけど、飯事のような口付けはもう、うんざりだ。 キースの唇を強引に割って、舌を滑らせる。 キースの口内は唇よりももっとずっと熱を帯びていた。 逃げようとしないキースの舌を存分に堪能して、喉の奥の方まで愛撫する。 唾液の絡む音が響くのなど気にしない。 きちんと整列している歯を丁寧になぞる。 少しだけ引いて、またもう一度奥まで突いてやる。 ユーリの下で、何かが蠢いて熱を帯び始めたのを感じた。 ようやくキースを解放すると、顔を真っ赤にしたキースの、濡れた瞳と視線が絡まった。 唇の端だけ釣り上げる。 「本当に…反吐が出る」 困惑するキースになどお構いなしに、ユーリは包帯越しにキースの肌に触れた。 先ほどよりもずっと熱くて、触れた指先から蕩けてしまいそうだ。 「全部、ぶち壊してやりたくなりますよ」 全てが終わった時、キースはユーリにどんな顔を見せてくれるのだろうか。 キースが天然通り越してアホの子みたいですみません 急展開ですが、次はぬるーく年齢制限系の話になります ここから少しだけ、本編をなぞります なんだか月空みたいですが、一遍の曇りもなく空月です この話のユーリがビッチなだけですすみません 強気な受けが好きなんです 誘い受とか襲い受とか、攻めがMで受けがSとか DTなユーリも好きです |