「ちょっとミステリアスなところがいいわよねぇ」

 ネイサンを含む女性ヒーロー達が、トレーニングの合間に雑談に興じている。
 今日の話題は裁判官であり司法局より派遣されたヒーロー管理官でもあるユーリ・ペトロフのようだった。
 いい男だと主張するネイサンに対して、カリーナやパオリンは顔を顰める。

「ボクはよくわからないな…あの人、ちょっと怖いし」
「そうよね、なんか暗いもの。趣味悪いわよ」
「あんたに言われたくないわよ」

 意味深に言い返したネイサンに、カリーナが真っ赤になって怒り出した。
 キースは何気なく女性たちの会話に耳を傾けていた。
 暗い、何を考えているかわからない、などの評価を得つつ、結局はそれでも頼りになる優秀な管理官だということに落ち着いた。
 まさにその通りだ、とキースは思う。
 少し前まで、キースのユーリに対する印象も同じようなものだった。
 影は濃いが、とても頼りになる管理官。
 ネイサンの言うような彼の魅力も、キースにはわかる気がした。
 今も同様の印象を持っているが、同時にこの間のユーリの様子が気にかかった。
 あんなに暗く、冷たい目をしたユーリははじめて見た。
 自分に向けられた感情は、敵意に似ていた。いや、敵意そのものだった。

(何か、気に障ることでもしたのだろうか)

 裁判中の事を思い返すが、心当たりはまるでなかった。
 知らないうちに、彼を傷つけてしまったのだろうか。
 トレーニングの手を止めて、キースはしばらく物思いに耽る。

「どうかした?」
「うわっ!」

 いつのまにか、耳に吐息がかかる程近くに、ネイサンが近寄ってきていた。

「お、驚かさないでくれ!」
「ぼんやりするなんて、珍しいわね。何かあったの?」

 冗談交じりに耳に息を吹きかけられたが、どうやら本当に心配もしてくれているようだった。

「…なぜだかよくわからないが、相手を怒らせてしまった場合はどうしたらいいだろうか?」

 こういった事はネイサンならば的確なアドバイスをくれるような気がした。

「なぁに?恋人でも怒らせたの?」
「そ、そういうわけではない!」

 キースは慌てて否定する。
 ネイサンは残念そうに溜め息をついたが、

「なによ…それなら、素直に謝ったらいいのよ」
「しかし、何に怒っているかもわからないのに…」
「いいのよ!とにかく謝りなさい」

 ネイサンはいささか大仰な身振りで体をくねらせた。

「相手が誰であろうと、ちゃんと心を込めて言うのよ。誠意ある対応を、っていつも言われているでしょう」

 ヒーローの基本よ、との言葉にはっとする。

「そ、そうだな!」
「そうよ。ついでに食事にでも誘ってみたら?もちろん、あなたの奢りで。物で釣るみたいだけれど、そういうのも大切よ」
「なるほど…自分がどうすべきか、わかったよ!ありがとう!そして、ありがとう!」

 先ほどの沈んだ気持ちはどこへやら、キースはさっぱりとした心持でトレーニングを再開した。
 自分の何がいけなかったのか、それはとりあえず後回しにしよう。
 そうだ、仲直りをした後に、改めて聞いてみるのもいいかもしれない。
 誠意ある対応を。そうすれば大丈夫なのだと、キースは漠然と信じていた。



 司法局から出てきたユーリを呼び止める。
 落ち着いたグレーのスーツに身を包んだ彼は、他の職員たちのなかでも際立っていた。

「やあ、ユーリさん!」

 気さくに片手をあげる。
 ユーリは片眉を僅かにあげてみせただけだが、あからさまに不機嫌になったのがすぐにわかった。
 人の感情に対して鈍感といわれるキースだが、なぜかユーリの感情の細かな動きはすぐに気付く。
 予想通りではあるが、全く歓迎されていないようだ。

「…なにか?」

 柔らかく揺れる髪を鬱陶しげに掻き上げた。

「いえ、この間は特にお礼もせずに失礼いたしました!その代りといってはなんですが、これから食事でも一緒にいかがですか?」

 トレーニング中、必死になって考えた誘い文句だ。
 あの時はユーリが勝手に帰ってしまった為に礼などできなかったのだが、そこを伏せ、自分の過失としてお詫びも兼ねて誘う…どこからどうみても、完璧な誘い文句だった。
 少なくとも、キースにとってはこれ以上ないほどの。

「…仕事がありますので、失礼いたします」

 満面の笑みのキースの横を、ユーリは容赦なく通り過ぎていった。

「ちょっ…ちょっと待ってください!そして待ってくださいっ!」

 キースは慌てて後を追いかける。
 足早に歩くユーリの隣を、彼よりも大きな歩幅のキースが余裕の速度でついていく。

「仕事はたくさん残っているのですか?」
「ええ」
「ほんの少し…一時間だけでも」
「一時間あれば、仕事が一つ片付きます」

 取りつく島もない、とはまさに今のユーリのことをさして言っているのだろう。
 ユーリは一度もキースの目を見ない。
 ユーリの隣を歩いていたはずが、いつのまにか一歩ずつ距離が遠のいていく。
 彼の僅かな感情が読み取れるからこそ、どんなに食い下がっても不可能であることがわかってしまった。
 ついに立ち止ってしまったキースを置いて、ユーリはどんどんと去っていく。
 これでは、仲直りどころか余計に関係を悪化させてしまった。

(こ、こういう場合は…どうしたらいいのだ?教えてくれ、ファイヤーエンブレム…)

 情けないことに、他人の力に縋るしか思いつかなかった。

「キースさん」

 肩越しに顔だけ向けたユーリが、億劫そうにため息をついた。

「せめて、順序くらい守ってもらえませんか」
「は…順序?」
「いきなり来て食事に誘われても、応えられるわけがないでしょう?私にだって、予定があるのだから」

 あっ、とキースは思わず声をあげた。
 どうやって誘い出すかに全身全霊をかけていて、大切なところを見落としていた。
 ユーリが多忙であることはキースもよく知っている。

「…すみません…本当に、すみ」
「来週なら」

 項垂れて謝るキースの言葉を、ユーリの意外な言葉が遮った。

「来週の木曜日なら、あいています」

 それだけ告げると、ユーリは更に歩調を早めて去って行った。
 その後ろ姿を、キースはぽかんと見つめていた。
 先ほどの言葉を反芻する。

「…そうか、まだ大丈夫なのだな!」

 途端に吹っ切れる。
 よし、と道行く人の目も気にせず、ガッツポーズで気合いを入れた。